【中田考×内田樹 前編】「国民国家の終焉」と「帝国の台頭」で世界は再編される
『タリバン 復権の真実』(KKベストセラーズ)の発売を記念して、著者のイスラーム法学者・中田考氏が、思想家であり武道家でもある内田樹氏と対談を行なった。内田氏の武道場「凱風館」にて開催。そのときの対談を記事化して公開する。「帝国への再編」をキーワードに、いま国際情勢はどうなっているのか? 今後世界の構造はどうなっていくのか? 今回は対談の前編をおくります。
内田:アフガニスタンのことがよく理解できる、面白くて分かりやすいお話をありがとうございました(【中田考】凱風館講演 前編および後編)。
講演の最後にアフガニスタンと上海協力機構、そしてインドについてお話いただきました(【中田考】凱風館講演 後編を参照)。僕の方からは、この点について少し追加の質問をしたいと思います。それは「帝国への再編」というトレンドが存在するのではないかということです。英語圏の国々が最近また一つのグループを形成しました。ファイヴ・アイズに続く豪英米のAUKUSです。英語圏の国々の再結集は大英帝国のかつての版図を再現しているかのように見えなくもありません。中国は清朝の頃の版図を回復しようとしていますし、トルコはかつてのオスマン帝国の再建を、ロシアもロマノフ朝ロシア帝国の再現を目指しているように見えます。
このような「帝国再編論」は冷戦後になってから繰り返し語られるようになった「物語」です。サミュエル・ハンチントンの『文明の衝突』がそうでしたし、アメリカの未来学者のロレンス・トーブも、世界は七つか八つの「帝国」に再編されるという予測を立てていました。
帝国再編論が浮上してきたのは「国民国家」の賞味期限が切れたためだと思います。国民国家というのは、1648年のウェストファリア条約に起源を有する、歴史的な構造物です。国境線に囲まれた土地の中に「国民」という均質的な集団が住んでいる。彼らは同一の言語、同一の宗教、同一の文化・生活習慣を持ち、お互いを利害を共有する「同胞」として認知し合っている、というのが国民国家というアイディアの前提です。それが基本的な政治単位になるのがウェストファリア・システムです。
それ以前は帝国が基本的な政治単位でした。神聖ローマ帝国皇帝のカール五世はフランドルに生まれ、パリに暮らし、イベリア半島の支配者でもありました。彼を現在の国民国家の国籍に属させることはできません。オスマン帝国も複数の民族、複数の宗教、複数の言語を擁していました。清も領土内にいくつもの人種集団を含む多民族帝国でした。
でも、17世紀になって、「帝国」に代わって、「国民国家」が新たな政治単位として登場してきた。あらかじめそういうものが実体としてあったわけではありません。そういう「アイディア」を使うと政治過程が理解しやすくなるから、それを適用することにした。そうしているうちに、その国民国家なるものがあたかも自然物のようなリアリティーを獲得するようになった。でも、もとはと言えば一つの「アイディア」です。だから、歴史的条件が変わると、それでは現実の政治過程がうまく説明できなくなってくる。仕方がないので、国民国家に代わるものとして「帝国」が再登場してきた。国民国家ではなく、「帝国」を基礎的な政治単位とした方が、世界政治のアクターたちのふるまいを説明しやすい。200ほどの国民国家がそれぞれに自国益を追求するというシステムで考えるより、七つか八つの帝国が帝国全体の長期的利益を追求するというシステムの方が、政治過程が予見可能になり、かつ安定するように思えてきた。帝国というのは、人種も言語も宗教も生活文化も異にする人たちが、それぞれの他者性を認め合いながら共生している政体です。極端な話、そこで暮らしている人が安全で自由でかつそこそこ豊かに暮らせるなら、どんな政体だって構わないと僕は思っているんです。
中田先生は以前から、世界はこれから帝国システムにシフトしていくだろうという予測を立てていらっしゃり、僕もその点に関して、長いタイムスパンではそういう方向になっていくだろう考えています。その際、僕がまず興味を持つのは、「一体どのような組み合わせで国々は『帝国』を形成するようになるのか?」ということです。中田先生のお話だと、アメリカとヨーロッパは離れるだろうということですね。
中田:「そうなるかもしれない」ということですね。まだ可能性でしかありませんが、考えていくべき可能性だと思います。というのも、本気で「自由民主主義」の建前を世界に押し付けようとしているのはアメリカだけのような気がしていて、それに対してヨーロッパは、共和主義ではあっても自由民主主義ではないと思われるのです。